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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)1404号 判決

主文

一  原告の本訴請求を棄却する。

二  原告は被告に対し、金六〇五万〇六六四円及び別紙仮払金明細書記載の各金員に対する各仮払日の翌日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は本訴、反訴とも原告の負担とする。

四  この判決は第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴事件)

一  請求の趣旨

1 原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

2 被告は原告に対し金六三七万一四二六円及び昭和五八年七月二六日から平成元年二月一三日まで毎月二五日限り金一〇万七五二〇円の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴事件)

一  請求の趣旨

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の反訴請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴事件)

一  請求原因

1 被告(以下「会社」ともいう。)は神戸市に本店を置き、全国に工場一七か所、従業員二万五二九九名(昭和五八年三月末現在)を擁し、主として船舶、航空機、車両及び各種機械等の製造販売を目的とする株式会社であり、原告は昭和四九年四月被告に雇用され、船舶事業本部企画室管理部電算企画課に所属し、会社神戸工場で主として電算端末機のオペレーターの業務に従事してきたものである。

2 被告は昭和五三年六月一二日原告に対し、同月一六日付で航空機事業部(岐阜工場)生産技術部プロジェクト計画課へ配転する旨の命令(以下「本件配転命令」という。)をし、同年八月一七日、原告が右配転命令に応じなかったことが会社就業規則一二三条一項三号の「職務上の指示・命令に従わず、職場の秩序をみだし、またはみだそうとしたとき」の懲戒解雇事由に該当するとして、同規則二四条四号の通常解雇の規定(「懲戒解雇に相当する事由があるとき」)を適用し、解雇の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。

3 本件解雇に至る経過は次のとおりである。

(一) 原告は昭和四九年四月会社入社以来真面目に業務に従事し、被告から勤務成績が「普通もしくはそれより上」と評価されていた。そして、同五三年五月三日川崎重工健康保険組合に勤務する岸本(旧姓)尚子と婚約し、同年一一月二六日に挙式することを予定し、結婚後は神戸を生活の本拠として夫婦共働きをし、将来は田舎(徳島)の母を引き取って扶養することなどの生活設計を立てていた。

(二) 被告は同年五月一六日、川崎重工労働組合(以下「組合」という。)との間で、神戸造船事業部造船設計部及び造船工作部から二一名、坂出造船事業部造船設計部及び造船工作部から二四名、計四五名の従業員を航空機事業部(岐阜工場)生産技術部及び工作部へ、同年六月一日と同月一六日の二回にわけて配転する旨の協定を結んだが、右協定締結前の同年五月初旬から対象者に対する配転の内示及び個別説得を開始した。原告の所属する企画室管理部電算企画課からは当初、川上洋及び藤原正の二名が配転の対象者として人選され、右内示及び説得が行なわれ、川上洋は配転に応じたが、藤原正が配転を断り退職を申し出たため、同人の後釜として原告が同年五月一八日配転の内示を受けた。原告は窪田八州洋電算企画課長に前記の事情を説明し配転に応じられない旨回答したが、会社は窪田課長を初め、同課木下弘芳係長、勤労課の宮道博課長、大池係員、小沢益夫管理部長らが、数名がかりで連日のように、配転に応じなければ解雇するなどと脅迫し、あるいは原告の婚約者も喜んで岐阜に行くと云っている旨の虚偽の事実を告げるなどして説得を繰り返し、挙句のはては女子従業員を使って婚約者を説得しようと画策し、神戸周辺の工場(兵庫工場、明石工場、西神戸工場など)なら配転に応じる旨の原告の回答をも無視し続け、同年六月一六日には原告のタイムカードを引き上げ、仕事も取り上げるなどして、職場で原告を孤立させる措置をとったが、原告が自ら退職の途を選ばないとみて、同年八月一七日前記解雇の意思表示を行ったものである。

4 しかし、本件解雇は次の理由により無効である。

(一) 本件配転命令の無効=解雇事由の不存在

(1) 労働の場所は労働契約の重要な要素であり、とりわけ住居の移転を伴う遠隔地配転の場合には、労働者の家庭生活上及び社会生活上重大な不利益を及ぼすものであるから、労働者の同意がなければこれをなしえない。本件配転は神戸工場から岐阜工場への配転を命じたものであるのに、原告の同意はなかった。

(2) 被告と組合との間で締結された前記協定の協定書では、配転の転出元は「神戸造船事業部造船設計部及び造船工作部二一名、坂出造船事業部設計部及び造船工作部二四名」と特定されていて、原告が所属している船舶事業本部企画室管理部電算企画課は転出元に含まれていない。したがって、本件配転は右協定に違反するものである。

(3) 本件配転は会社造船部門の人員削減の一貫として実施されたものであるが、被告の圧倒的多数の従業員は、会社幹部となることが予定された大学卒の従業員と異なり、入社して従事することになった工場で一生働くことを予定していたから、右のような経営上の必要に基づく大量配転においては、配転の必要性(業務上の必要性)は初めから労働者の生活条件とその意思を考慮して行なわなければならない制約を伴っている。このことは、労使間を規律する信義則からも導かれるところであり、組合の一貫した基本方針とされ、被告もこれを受入れて実施し、永年の運用の中で組合との協議を前提に個人の意思の尊重、すなわち、本人の同意のもとに行なうという慣行となった。本件配転はこのような慣行を無視して強行されたものである。また、同様の理由で、住居の移転を必然的に伴う配転にあたっては、使用者としては、労働者に対し、より打撃の少ない方法を追求すべきであり、たとえば期限を切ってまず希望者を募集し、これによって予定人員を充足することができず、そのまま放置することができない特別の事情がある場合にやむをえず配転対象者を指名するという方法をとるべきである。ところが、本件配転では、被告はこのような方法を全く講じないでいきなり原告を配転対象者に指名した。

以上の事情を総合すれば本件配転命令は人事権の濫用として無効である。

(二) 解雇権の濫用

本件解雇は、次の事情より客観的妥当性を欠き、解雇権の濫用として無効である。

(1) 本件配転は、造船部門の人員削減計画の先陣として実施されたものであるが、本件解雇は、その後の右計画を遂行するため、他の従業員に対する見せしめとして行なわれたものであり、目的自体違法である。

(2) 前記のように配転は本人の同意のもとに実施することが慣行となっていたので、会社では、これまで配転を拒否して解雇された例はない。本件解雇はこのような慣行を無視して強行されたものである。

(3) 原告が配転の内示を受けたころ神戸工場に勤務していた森松義雄、田井雅夫、垣内茂、常山照隆らが、また、昭和五三年秋に実施された第二次岐阜配転の際には三名の者が、原告と同じように自らの生活条件を理由にして岐阜工場への配転を断ったところ、被告はこれを認めて配転内示を撤回したり、神戸周辺の工場に配転先を変更するなどしたのに、ひとり原告に対してのみ解雇を強行したのは公平に反する。

(4) 原告が本件配転を拒否したのは、神戸で就職している婚約者と神戸市で共働きする生活設計を立て、将来病身の母を引き取って扶養しなければならないという事情があったからである。一方、会社の造船部門の余剰人員削減は神戸周辺の工場に吸収することによっても可能であり、また、原告に代わる者をみつけることも可能であったから、原告が岐阜工場への配転に応じないからといって被告に不利益はない。このような原告と被告の事情を比較衡量すると、本件解雇は明らかに均衡を失した不相当に重い処分というべきである。

5 原告の本件解雇当時の賃金は、基本給月額一〇万七五二〇円である。

6 よって、原告が被告の従業員たる地位を有することの確認を求めるとともに、被告に対し、本件解雇の日から昭和五八年七月二五日までの賃金合計六三七万一四二六円及び同月二六日から本訴口頭弁論終結の日である平成元年二月一三日まで毎月二五日限り金一〇万七五二〇円の割合による賃金の支払を求める。

〈中略〉

(反訴事件)

一  請求原因

1 被告は主として船舶、航空機及び車両等の製造販売を目的とする株式会社であり、原告は昭和四九年四月被告に雇用され、以来神戸工場内にある船舶事業本部企画室管理部電算企画課に勤務していたものであるが、被告は昭和五三年六月一六日付で原告に対し、本件配転を命じたところ、原告がこれを拒否したので、原告を同年八月一七日解雇した。

2 原告は同年一〇月九日被告を相手に、神戸地方裁判所に地位保全を求める仮処分申請(同裁判所昭和五三年(ヨ)第六八三号)をしたところ、同裁判所は同五五年六月二七日被告に対し、原告に同五三年八月一八日から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月金一〇万七五二〇円の割合による金員を支払うべき旨の判決を言渡した。

3 そこで被告は右判決に基づいて、同日原告に対し、別紙仮払金明細書記載のとおり金二三九万四九八四円を支払ったほか、同年七月二五日以降同五八年四月五日までの間、毎月一〇万七五二〇円宛合計三六五万五六八〇円を支払った。

4 ところが大阪高等裁判所は昭和五八年四月二六日右の判決を取り消して原告の仮処分申請を却下する旨の判決を言渡し、この判決は確定した。

5 よって、被告は原告に対し、前記仮払金合計六〇五万〇六六四円及びこれに対する各支払日の翌日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否〈省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

(本訴請求について)

一  請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで本件解雇の効力について判断する。

1  原告は、本件配転命令は原告の同意なくされたものであるから無効である旨主張するので、まずこの点について検討する。

労働者の職務内容(職種)及び勤務場所は労働契約の内容をなすものであるから、当該労働契約で合意した範囲を超えてこれを一方的に変更することはできないが、労働契約における合意の範囲内と認められる限り、個別的、具体的な同意がなくても配転を命じうるというべきである。そこでこの点についてみると、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

会社では、従業員はその従事する仕事によって管理・専門、事務、技術、現業及び特務の五つの職群に分けられ、通常新卒の定期入社者が属するのは、このうち事務、技術及び現業の三職群であるが、事務及び技術職は大学及び高校の別を問わず将来の幹部社員を育成することが予定された職群で、全国的に広く募集し、本社が直接専門学科試験と他の試験及び面接を行なって採用し、全国に設けられた事業所に配置されるものであり、一方、現業職は通常、特定の事業所で就職することが予定されて採用するため、当該事業所の勤労担当部門が簡単な一般教養試験と面接を行なって採用するものである。原告は昭和四九年三月徳島県立貞光工業高等学校を卒業し、本社(神戸市)で受験して同年四月技術職として採用され、船舶事業本部企画室管理部電算企画課に配属され、以来主として電算オペレーターとして勤務してきたが、原告と同時に採用され、全国に散在する九事業所に配属された高校卒技術職五八名のうち、一三名が同五三年八月までに、業務上の必要に基づいて他の事業所に異動し、また、原告が入社した同四九年四月から同五四年三月までの五年間に、延べ一三二一名の高校卒事務及び技術職従業員が事業所間配転になったが、その在籍者数に対する割合(配転率)は大学卒を含む全技術職の配転率よりやや低いものの、三三パーセントであり、約三人に一名の割合となっている。原告は入社の際、被告から就業規則の交付を受けたうえ、就業規則に従い誠実に勤務する旨記載された労働契約書に署名押印して被告に提出したが、右就業規則一四条には、会社は業務上の都合により従業員に転勤を命ずることがある旨記載されており、その後に行なわれた新入社員総合教育の中で、原告は、神戸造船事業部勤労課長から就業規則と賃金規則について講義を受けた。

以上認定したような会社における従業員の採用方法、原告の職種、会社の配転の実情及び就業規則の内容等に前記争いのない会社の規模等を併せ考えると、原告は労働契約において、勤務場所の指定変更について会社に委ねる旨の合意をしたものというべく、被告は原告の個別的な同意がなくても勤務場所の変更を命じることができるものというべきである。

このことは、住居の移動を伴う遠隔地配転の場合であっても異らない。もっとも、このような遠隔地配転は、労働者の生活にも少なからぬ影響を及ぼすものであるから無制約なものではなく、それが通常受忍すべき範囲を著しく超えるときは信義則違反ないしは人事権の濫用として配転命令が無効となるものと解されるが、この点については後に判断する。

2  次に本件配転命令は組合との協定に違反しているから無効である旨の原告の主張について検討する。

〈証拠〉によれば次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

本件配転は会社の造船部門における人員削減計画の一環として行なわれるものであることから、被告は、転勤・配置転換を集団的かつ大量に行なう場合にはあらかじめ組合に対し計画と基準について説明しなければならないとする労働協約三七条二項の定めに従って、昭和五三年四月二四日被告と組合本部との間で開催された生産専門委員会において、組合に対し、船舶事業本部(神戸造船事業部、坂出造船事業部)の従業員四五名を航空機事業部に配転する配転計画の大綱を示し、その中で、転出元部門としては人員削減の必要性が特に高い神戸造船事業部と坂出造船事業部の各造船設計部及び造船工作部であるが、これらの部門で人選できない場合には他の部門からの人選もありうる旨説明して組合の了承を得、さらに、これを受けて同月二五日船舶事業本部神戸事務所と組合神戸支部との間で開かれた生産小委員会において、神戸工場の人選の対象者は神戸造船事業部の造船設計部及び造船工作部が中心となるが、企画室管理部からも若干名考えている旨説明し、ついで、同年五月二日開かれた生産小委員会において、神戸造船事業部造船設計部から六名、同造船工作部から一三名、企画室管理部電算企画課から二名の合計二一名を転出させる旨具体的配転計画を明らかにし、組合神戸支部は同日支部執行委員会においてこれを了承する旨決定し、これを転出元部の機関構成員に伝達するため同日造船設計・生産技術工場委員会を開いて、転出部門別内訳を含む配転計画の具体的内容について説明した。その後、同年五月一六日付で右合意に基づいて被告と組合との間に協定書(乙第一二号証)が作成されたが、右協定書には転出元として神戸造船事業部造船設計部及び造船工作部二一名、坂出造船事業部造船設計部及び造船工作部二四名と記載されているだけで、原告が所属していた企画室管理部電算企画課は記載されていない(協定書の記載内容については当事者間に争いがない。)。

以上の事実によれば、原告が所属していた企画室管理部電算企画課から二名を配転することについて組合の了承が得られていることは明らかであり、そうである以上、協定書にその記載がないからといって、本件配転が組合との協定に違反するものということはできない。

3  本件配転命令が人事権の濫用であり無効である旨の主張について検討する。

前記のように、被告は原告に対し個別的同意がなくても配転を命じることができるのであるが、本件配転のように住居の移動を伴う配転は労働者の生活関係に少なからぬ影響を及ぼすから、当該配転命令につき業務上の必要性が存しない場合、または業務上の必要が存する場合であっても、当該命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき、もしくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるときなど特段の事情のある場合には、人事権の濫用として配転命令が無効となる(最判昭和六一年七月一四日、判例時報一一九八号参照)。

そこで、右の観点から本件配転命令が人事権の濫用にあたるか否かについて検討する。

(一) 業務上の必要性について

(1) 船舶事業本部における人員削減の必要性

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

昭和四八年秋のいわゆるオイルショックに端を発した石油需要減退によるタンカーの船腹過剰と世界経済不況によるその他の貨物船需要の減少などのため、造船需要が激減し、同五三年度において、我が国造船産業全体の受注量は、ピーク時である同四八年度の一〇分の一近くに、手持工事量は、ピーク時である同四九年度の七分の一近くまで減少した。これに加え、既受注船のキャンセルが相次ぎ、同五〇年及び五一年度には受注量の八ないし九割にも達し、同五二年度は前年に比べてやや減少したものの、それでも同年の受注量の五割以上を占めていた。このため、手持工事量が急激に減少し、操業度は昭和四九年度を一〇〇とした場合、同五四年度には三〇に低下することが予想された。

このような状況下、被告においても、昭和五三年三月末における新造船受注残高は約一二六万総トンであったが、そのうち三割は既にキャンセルの通告を受けていたものであり、二割位は完成したものの船主が引き取らないまま繋留されていたものであって、実質手持量は右の受注残高より少なく、しかも、採算の悪い船舶が多くを占めていた。このため、昭和五三年上半期には中小型船舶が建造されていたものの、同年度の下半期以降に予定されていた手持工事量は極めて乏しく、通常二年分程度の予定が必要とされているのに、同五四年度以降は、潜水艦以外の実質的受注船は皆無の状態であった。

このような状況から、造船市場における需給の大幅な不均衡は将来長期にわたって継続することが予想されたため、昭和五三年五月、不況産業の過剰設備の廃業などを目的とする特定不況産業安定臨時措置法が制定され、造船業は同法の構造不況業種として政令指定された。他方、これと併行して、運輸大臣の諮問を受けた海運造船合理化審議会は同年七月一四日、造船需給の大幅な不均衡が長期に継続する見とおしであって構造的不況の様相を呈しているとして、これを克服し造船業の経営安定を図るためには、全体として現有設備能力の三五パーセント、被告を含む大手七社については四〇パーセントを処理をするとともに、これと併行して効果的な操業調整を行なう必要がある旨の答申をした。そして、この答申のうち設備処理については、同年一一月一四日運輸大臣が告示した「特定不況産業安定臨時措置法第三条第一項の特定船舶製造業に関する安定基本計画」により実施され、この結果、被告は昭和五四年度末までにその保有する建造能力の四〇パーセントの設備処理をすることになり、神戸工場の船台三基のうち一基を廃却、一基を能力縮少、坂出工場の建造ドック二基のうち一基を廃却することになった。また、操業量についても右答申の趣旨に従って行政指導が行なわれ、被告は昭和五三年一二月二八日、同五四年及び五五年度の操業量を同四九年度のそれの三四パーセントにあたる二〇万CGRT(標準貨物船換算トン数)とするよう勧告を受けた。そして、右操業量規制は公正取引委員会の認可をえて同五四年八月に結成された不況カルテルに引継がれて実施された。

以上のような状況と見とおしにあったため、会社の船舶事業本部は比較的堅調な他部門への配転や、いすゞ自動車株式会社など他社への応援派遣及び関連会社への出向など余剰人員を調整してきたが、なお昭和五三年度以降に予想される操業量と人員とに大幅な格差があったので、同年一月ころから同事業本部企画室が中心となって操業見とおしに即した要員計画の策定に着手した。この要員計画は、昭和五三年三月末の在籍人員約八五〇〇名を同五四年度以降に予想される操業度三〇パーセントにあわせて約五〇〇〇名に圧縮し、これを航空機事業部など重点戦略部門への傾斜配置、関連会社、協力会社及び取引先企業への出向、転籍及び派遣を強力に推進することによって行なうほか、企業体質強化のため組織を簡素化し、管理部門の効率化と人員の削減を行なうというものであり、同年五月三日開催された臨時中央生産協議会において、全社的な「経営危機乗り切りのための緊急対策」の中の「緊急人員対策」として、他の計画とともに組合に提案され、その承認を得て実施に移されることになった。

(2) 航空機事業部における人員増強の必要性

〈証拠〉によれば以下の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

航空機事業部は、前記石油危機の影響で人件費や諸費用が高騰して資材の調達が困難となったことから、第四次防衛計画(昭和四七年度~同五一年度)の達成率が昭和五二年三月末時点において八〇パーセントにとどまり、操業不振となっていた。そのため経営合理化が進められ、同四七年三月末約三八〇〇名いた在籍者は同五三年三月末には三〇八〇名程度に減少した。ところが、同五二年秋ころから次第に明らかになった同五三年度政府予算編成の過程で、防衛庁のF-一五次期戦闘機、P-三C次期対潜哨戒機のライセンス生産が正式に決定され、また、ほぼ同時期に、日米伊三国共同生産によるB-七六七及び七七七次期民間旅客機(YX)の開発計画も決定した。さらに、この国家的プロジェクトに加え、会社独自のプロジェクトとして、西独MBB社との中型ヘリコプターBK一一七の共同開発生産についての合意が成立したほか、サウジアラビア向けKV-一〇七大型ヘリコプターの生産とこれに搭載する消防・救難システムの納入も決定した。このため、同事業部では、今後一〇年間にわたって生産が確保される見とおしとなり、早急な生産体制の整備と人員増強を行う必要が生じた。そこで同事業部では、総務部が中心となって本社人事部や関連諸部門と協議し、昭和五三年二月航空機事業本部全体の増員計画を策定し常務会の承認をえて実施に移されることになったが、その骨子は、昭和五三年度に二一九名、同五四年度に三五一名を増員し、これを主として当時余剰人員削減の計画を有していた船舶事業本部からの配転によってまかなうというものであった。

(3) 航空機事業部の配転要請と原告が人選されるまでの経緯

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

前記の増員計画に基づいて航空機事業部は昭和五三年三月中旬、第一次分として、まず必要とされる技術職四五名を同年六月までに配転されたい旨の本社人事部長宛書面(乙第三九号証)を送付し、これが船舶事業本部に伝えられ、同事業本部で検討が加えられたが、その具体的内容は、次のようなものであった。すなわち、航空機事業部の人員構成上、配転者はできるだけ若手技術者を多く含められたい旨の要望が付されていたほか、生産技術部に配置が予定されている三八名のうち、一〇名は電気・電子系を専攻した者であること、その担当職務は、九名が「電気・電子装置の系統別試験手順の立案、その設備、治工具の計画設計など(システムエンジニア)」、他の一名が「電気・電子装置の部品工作に関するNCプログラムの作成(NCプログラマー)」であり、前者については職能等級「D1~E2」に該当し、かつシステム設計に習熟した者、後者については「B2~C2」に該当し、コンピュータープログラミングのできる者という条件が付されていた。しかし、船舶事業本部には電気・電子系技術者は限られた部門に少ない人員が配置されているだけで、しかも、当時、電気・電子関係の仕様の複雑な中小型船の建造が重なっていたため、航空機事業部が要請した一〇名もの電気・電子系技術者を転出させることが困難な状況にあったので、同事業部と折衝した結果、電気・電子技術者は、システムエンジニア四名、NCプログラマー一名の合計五名とし、残り五名は同年度の後期に予定されていた第二次配転に振り替えることになった。一方、当時航空機事業部生産技術部作業計画課内では、三名からなるグループが配線工程(ワイヤリングハーネス)自動化システムの開発に取り組んでいたが、かねて、B2~C2に該当する電気・電子系技術者一名の増員要請を同事業部総務課に行なっていた。右の自動化システムは機内の配線が現在の二ないし三倍に増大することが確実な将来機に対処できるようにするために、五つのステーションから構成される装置の工程について、ロボット工学に基づく自動化を実現しようとするもので、すでに昭和五〇年にその構想がまとまり、同五二年秋P-三C生産の具体化に伴って開発計画が実行に移されたものであり、航空機事業部が船舶事業部に配転要請した前記のNCプログラマー一名は、右の装置のNCプログラムの作成を担当することになっていた。

そこで船舶事業本部企画室は、同事業本部の各部門の人員構成や今後の事業計画について検討した結果、管理部門人員削減の方針に基づいてすでに人員削減計画が具体的となっていた電算企画課から電気・電子系技術者五名のうち二名を転出させることにした。当時(昭和五三年四月)、電算企画課には原告を含め七名の電気・電子系技術者が在籍し、うち四名が開発グループに、原告を含む三名が運用グループに属していたが、このうちシステムエンジニアとして航空機事業部が要請した条件に適合する者は開発グループに所属する川上洋だけであったので、同人を人選した。このため、NCプログラマー一名は、前記の人員構成上、運用グループから出さざるをえなかったが、同グループのうち一名(久保則之)はリーダーとして右のグループの取りまとめにあたる必要があったので同人を除外し、残り二名のうちプログラマーとしての経験がより豊富な藤原正を充てることにし、同年五月八日同人に内示したところ、同人は、将来家業の印刷業を継いで親の面倒をみなければならない事情があることや、趣味のスキーが生活の一部になっていることなどを理由として配転に応ぜず、結局、同年七月末日をもって退職することになったので、同人の代わりに原告が充てられることになった。その理由は、前記のような電算企画課の人員構成上、残る対象者としては原告しかなかったことのほか、原告は藤原正に比べるとプログラマーとしての経験知識は不足しているものの、航空機事業部ではプログラミングの知識があれば指導者をつけて養成する旨明らかにしていたので、原告の電算課での経験に照らして同事業部の要請した条件に十分適合するものと判断されたこと、原告は工業高等学校電気科を卒業し、入社以来電算企画課において電子計算機に関する業務に従事し、かねて電子計算機のプログラミングを担当したい旨の希望を表明していたので、本件配転は原告にとっても幅広い実力を身につけ、電算技術者として大成するための好機であり、また原告の希望にも沿うものであると考えられたこと、原告は当時電算企画課内で最も年少で、かつ独身であったので、若手の電気・電子系技術者という航空機事業部の要請に合致し、しかも比較的身軽であると考えられたことなどである。

以上認定したところによると、本件配転は、かつてない深刻な造船不況により操業度が低下し、大量の余剰人員を解消する必要に迫られた船舶事業本部から、F-一五次期戦闘機などの大型プロジェクトの発足に伴って人員増強が必要となった航空機事業部への大量配転の一環として行なわれたものであり、原告を配転の対象者としたことについても妥当性を欠くものとはいえないから、本件配転の業務上の必要性は十分肯認することができる。

この点について原告は、「被告の主張に対する反論」1ないし3のとおり主張するので、以下順に判断する。

(1) 反論1について

前記のように、会社の「経営危機乗り切りのための緊急対策」で示された船舶事業本部の人員削減計画は、昭和五四年度以降の操業度を三〇パーセントであると予測してこれに見合う五〇〇〇人体制にしようとするものであるが、前記認定のような当時の不況の規模と程度、公表された各種資料及びその後の推移などに照らして被告の右予測は十分根拠があるものというべく、右人員削減計画は不合理であるとはいえない。

また、前掲甲第一九号証によれば、右緊急人員対策は、直面する経営危機を打開するとともに、低成長時代に即応した体質を作り上げるため、会社全体としての余剰人員を圧縮することを内容とするものであるが、その実施については、採用を極力抑制するとともに、不況部門から業績の比較的堅調な部門への傾斜配転や関連会社への出向などを行なうことが基本方針とされているのであって、むしろ、できるだけ雇用を確保しつつ経営危機に対処しようとするものであるといえるから、原告がいうように指名解雇に等しい人減らしを目的とした要員計画であったものということはできない。

(2) 同2について

〈証拠〉によれば、被告は前記の緊急人員対策に基づいて余剰人員解消のための諸施策を実施したが、昭和五四年度以降においてはこの施策で危機を乗り切ることができないとして、同五三年一二月六日開催された中央生産協議会において組合に対し、会社の全事業部門を対象に希望退職者を募り、全社的に人員削減を図る「特別人員対策」(特別退職優遇制度)を提案し、組合の承認を得て実施したところ、航空機事業本部からも一五四名が応募して退職したことが、また、前掲乙第二一号証によれば、昭和五三年度においては、航空機事業本部から関係会社への出向、応援等が行なわれていることがそれぞれ認められる。しかし、右の特別人員対策が退職金の優遇制度を伴うものである以上、航空機事業本部を含め全事業所を対象にして実施されたことは当然のことと考えられ、また、右の乙第二一号証によれば、航空機事業本部の人員は、関係会社への出向等はあるものの、同時に、これを上回る人員が受入れられ、全体としては増加していることが認められるので、前記の事情は、航空機事業部における前記人員増強の必要性の認定を妨げるものとはならない。

さらに、航空機事業部における人員増強の必要性は、前記のように昭和五二年秋ころ具体化した五大プロジェクトに伴って生じたものであるから、それ以前において同事業部が不況であったことも、本件配転当時における人員増強の必要性の認定を妨げるものとはならない。

(3) 同3について

たしかに、弁論の全趣旨によれば、被告が原告に予定していた担当職務であると主張する「電気・電子装置の部品工作に関するNCプログラムの作成」の電気・電子装置の部品工作について、その具体的内容が「ワイヤリング・ハーネス用NC工作機械」である旨明らかにされたのは、本件の仮処分事件控訴審の最終段階(昭和五七年二月三日)に行なわれた証人田ケ原英生の供述においてであり、しかも、それまでの会社側証人の供述には、あたかも、機械系の知識を必要とする部品のNC工作機械のプログラミング(いわゆるパートプログラム)についての説明であると思われるものもある。しかし、前掲乙第五五号証の一によれば、本件配転当時に原告の直属の上司であった窪田八州洋電算企画課長は、昭和五四年四月一八日に行なわれた同人に対する証人尋問において、原告の予定担当職務について、航空機に搭載する電気・電子部品を加工する工作機械のNCプログラミングであり資格としては、電気・電子系を専攻し、コンピュータープログラミングの知識を有する者とされていたとして、前掲乙第三九号証に記載されている内容にほぼ合致する供述をしているのであり、しかも、前掲乙第五七号証の三によれば、航空機事業部では単体の部品製作だけでなく、ワイヤリング・ハーネスのような部品組立加工を含め「ファブリケーション」あるいは「部品製作」と表現していることが認められ、これに、田ケ原英生を除く前記会社側証人が船舶事業本部に所属する者であって、必ずしも航空機製作について十分な知識を有しているとはいえず、したがって航空機事業部からの要請の内容が正確に伝わらなかったことも十分考えられることなどを併せると、当初からワイヤリング・ハーネス計画の存在が明らかにされなかったことや、会社側証人がパートプログラミングについての説明であると思われるような供述をしたことは異とするに足りないというべきである。

(二) 本件配転命令が人事権の濫用であると認めるべき特別事情の有無について

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告は昭和五三年五月四日、川崎重工業健康保険組合に一般事務員として勤務する岸本尚子と婚約し、同年一一月二六日に挙式を予定して結婚後は神戸市で共働きをすることにしていた矢先に本件配転の内示を受けた。そこで原告は、このような事情と、徳島県の郷里に住んでいる母親を将来引き取って扶養する計画を立てていることを理由として配転内示を断った。しかし、被告は、原告に共働きの必要や母親を扶養する計画があるにせよ神戸を離れることができない事情はなく、原告の理由とするところは配転を拒否できる正当な理由にはならないと考え、原告に再考を促すとともに、岐阜での共働きを可能にすることによって原告が納得して配転に応じるようになることを期待し、本社人員対策室を介して岐阜工場に岸本尚子の就職依頼をし、被告の関連会社である川重車体工業株式会社に受け入れる旨の承諾をとりつけ、さらに原告の岐阜での生活の不安を解消するため、勤務年数が不足し、社宅入居の資格がない原告が社宅に入居できるよう特別の措置をとるなどして配転に応じるよう説得を続けたが、原告の考えが変わらないまま本件配転命令に至った。なお、当時、徳島県に居住していた母親は五八歳で、農業のかたわら近くの工場で働き、健康状態も良好であり、たとえ原告が引き取って扶養することになるとしても、将来のことであって、本件配転当時には差し迫って必要な状況にはないうえ、原告には帝人株式会社の子会社に勤務する長兄がいた。

以上の事実によれば、仮に原告が母親を扶養することになるとしても、それは将来のことであって、本件配転の障害になるとは考え難い。そして、結婚後の共働きの点についても、これを可能にするため、被告は婚約者の就職の斡旋や社宅の提供など特別の配慮をしているので、これによって原告の本件配転による生活上の不利益は、相当部分が解消されたものということができる。もっとも、原告の婚約者が右の就職斡旋に応じなければ、原告としては新婚当初から別居を余儀なくされることになるが、この程度の生活上の不利益は、前記認定のような原告の職種や採用された経緯に照らして予測されないものではないうえ、原告と婚約者の選択の結果であるから、原告において甘受すべきものというべきである。したがって、本件配転による原告の不利益は、受忍限度を著しく超えるものとはいえない。

なお、原告は、本件配転のように会社の経営上の都合によって行なわれる大量配転については、本人の同意のもとに行なうことが慣行となっていたとして、この慣行を無視する本件配転は人事権の濫用にあたる旨主張する。

たしかに〈証拠〉によれば、組合は従前から、配転等を含む合理化については個人の意思を尊重して行なうべきであるとの基本的立場に立って対応し、大量配転についての労働協約の定めによる協議において、被告にこのことを要求し、被告も個人の意思を尊重して実施する旨回答して大量配転を実施してきたことが認められる。しかし、〈証拠〉によれば、被告から提案された同五七ないし五九年度の配転出向計画に対し、組合は経験、職種、個人の意思、事情を尊重し、「事前協議と労使合意」を前提として対応するなどとしながらも、転出部門別配転人員については、配転希望者を募って応募者を優先すべき旨被告に申入れ、被告も同五八年一〇月一日に実施予定の航空機事業部に対する現業職の配転については、希望者を優先して配転対象者にするための募集を行ったことが認められるところ、このことからすると、応募者が計画人員を充足しない場合には、不足人員についてはさらに希望しない者の中から、対象者の人選が行なわれ、計画どおりの配転が実施されることになるが、組合はこれを了承したものとみられるのである。また〈証拠〉を総合すれば、被告は、従前から、本人が病気であるとか、介護を要する家族を抱えているような特別な事情がある場合(第一次岐阜配転の際の森松義雄、田井雅夫、昭和五四年六月一日付神戸造船工場から川重車体工業株式会社への出向を内示された千本勇三、同五八年一〇月神戸造船工場から岐阜工場へ配転内示された伏田輝夫、同五五年大阪工場空調部門の滋賀工場移管に伴う配転の際の南秀保ほか六名など)には配転内示を撤回したが、このような特別の事情がない場合には、合併直後であることを考慮し、旧会社(汽車製造株式会社)の合併前の配転慣行や組合と旧会社との約束を尊重して特別の扱いをし、(大阪工場の各種検査業務の川重冷熱サービス株式会社への移管に伴う出向の内示を受けた山田等、大阪工場車両部集約の際の三二名)、受入先から本人の勤務態度や私生活などを理由に受入れを拒否されたため配転内示を撤回した(昭和五四年六月一六日付で西神戸工場へ配転を内示された阪口秀人)例外的場合を除いて、個人的事情を理由として配転内示を撤回したことがなく、あくまで配転に応じない場合には、第一次岐阜配転の際の藤原正、昭和五八年八月下旬神戸工場から岐阜工場へ配転内示を受けた北井正彦、大阪工場車両部集約の際の二名、大阪工場空調部門滋賀工場移管に伴う配転の際の堤原国雄などのように、内示が撤回されないまま退職するほかなかったことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないところ、これらの事実に、証人永安宏吉の証言を併せると、前記の配転に関し組合が基本方針とし、被告も受入れてきた「個人の意思を尊重する」ということの意味は、本人の同意がなければ配転を実施することができないということまで意味するものではなく、本人の個人的事情が十分考慮されなければならないことを意味するものというべきである。会社では本人の同意を必要とする配転慣行が存在していた旨の証人三木米道の供述部分は採用することができず、他に右慣行の存在を認めるに足りる証拠はない。

なお、〈証拠〉によれば、原告が配転内示が撤回されたとして例示する者のうち、垣内茂は、配転要員を現業職から技術職への職群転換者で充てることになっていた関係上、予定人員を超えて意向打診が行なわれ、結局、同人については内示に至らなかったものであり、常山輝隆は、担当職務の都合により転出させることが困難であったため意向打診にとどまったものであることが認められる。

また、原告は、本件配転については信義則上、まず希望者を募集するなどの方法をとるべきであった旨主張する。しかし、そもそも配転対象者の人選は、それが合理性のあるものでなければならないという制約はあるものの、人選の方法を含め基本的には会社の裁量に属することであるのみならず、本件配転の対象者は、航空機事業部が要請した条件に適合するものでなければならないから、希望者を募集して対象者を人選することは必ずしも適当であるとはいえない。したがって、被告が右の方法をとらなかったことは信義則に反しない。

そのほか、本件配転命令が人事権の濫用にあたるというべき特別の事情は認められない。

4  前掲乙第一号証によれば、会社の就業規則一二三条一項三号には、従業員が職務上の指示・命令に従わず、職場の秩序をみだし、またはみだそうとしたときは懲戒解雇に処する旨の規定があり、同規則二四条四号には、従業員に懲戒解雇に相当する事由があるときは解雇する旨の規定があることが認められるところ、原告が本件配転命令を拒否したことは右就業規則一二三条一項三号の懲戒解雇事由に該当するものということができる。

5  原告は、本件解雇は解雇権の濫用として無効である旨主張するので、この点について判断する。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、この認定に反する〈証拠〉は採用しない。原告に対する被告の説得は本件配転内示から本件解雇に至るまで続けられたが、この間原告は、本件配転命令が発令された後である六月末ころ、組合を介して被告に対し、神戸周辺の工場なら配転に応じる旨の申出をしたものの、本件配転については終始拒否し続けた。すなわち、原告は、内示後間もなく組合に苦情処理申立をして本件配転の内示を撤回させるよう要請し、昭和五三年五月三〇日の岐阜工場見学説明会には、休暇をとって参加しなかった。そして、同年六月六日には、「窪田電算企画課長が同課の女子従業員を使って原告の婚約者を説得させようと画策した。」、「同課長が原告に対し、原告の婚約者も喜んで岐阜に行くと言っている旨の虚偽の事実を述べて説得しようとした。」として、同課長に要求書(乙第一五号証)を示して謝罪を要求し、組合に対しても、右要求書の内容を機関紙に掲載するとともに調査をするよう求めた。そこで被告は原告及び組合に事情を説明したが、原告は納得せず、同月九日窪田課長に対し、他の従業員の面前で「課長は嘘をついた。」、「課長は卑怯だ。」などと発言し、さらに別室において、あらかじめ用意してあった誓約書(乙第一六号証)に、カッターナイフで自分の左手の指を切って血判したうえ、同課長にも同様に血判をするよう迫るなどした。そして本件配転命令が出された後も神戸工場に出社し続け、同月一九日電算企画課全員に対し、「電算企画課の皆さんへ」と題する文書(乙第一七号証の一)と組合神戸支部委員長宛の「岐阜工場への転勤取り止め、支援お願書」(乙第一七号証の二)を配布し、組合の本部及び神戸支部に対しても支援を要請した。なお、原告が問題にした前記二点のうち、前者は、原告と同じ職場に勤務していた女子従業員が、原告が配転を断り続けることにより会社を辞めなければならなくなることを心配し、原告の婚約者と話をして打開の途をさぐろうとしたもので、被告の指示によるものではなく、後者は、宮道博勤労課長が所要で原告の婚約者の勤務先を訪ねた際、婚約者の職場で同女がこの秋に岐阜に行くらしいと噂が出ている旨聞き、これを伝え聞いた窪田課長が原告を説得する際にその旨伝えたものであった。このような原告の強硬な態度から、被告はもはやこれ以上説得を続けても原告の翻意を期待することはできず、また、このまま放置すれば本件配転に続く配転計画の遂行に重大な支障を来たすおそれがあるので、原告を解雇することもやむを得ないと判断し、就業規則の適用については、若い原告の再就職に支障とならないよう配慮し、同規則二四条四号を適用して通常解雇とすることに決定し、同年八月四日発令予定とした。ところが、同日原告から、夏季休暇に帰省して母や兄と相談したいので同月一七日まで待ってほしい旨の申出があったので、被告はこれを受入れ、発令を見合わせて原告の回答を待つことにした。しかし、被告が同月一七日原告の意思を確めたところ、原告は重ねて配転命令に応じない旨表明したので、即時、原告に対し本件解雇の通告をした。

右のように、被告が三か月にわたって、社宅の提供や婚約者の就職斡旋などの便宜供与をして辛抱強く説得に努めた経過に加え、本件配転が、造船不況によって生じた大量の余剰人員の解消と、五大プロジェクトの発足に伴って生じた人員増強とに対処するために計画実行された大量配転の一環をなすものであって、前記の理由によって原告が配転命令を拒否することは、他の従業員に対し与える影響が大きく、ひいては右計画の円滑な遂行の妨げとなるものであることにかんがみると、本件解雇はやむをえないものであり、解雇権の濫用にはあたらないというべきである。

原告は、(1)本件解雇は、見せしめとしてなされたものである。(2)会社では、これまで配転を拒否したことで解雇した例がなく、本件解雇は右の慣行に反する。(3)原告だけが解雇されたのは公平に反する。(4)原告が本件配転を拒否しても、これによる会社の不利益は存しないのに対し、原告は本件解雇により著しい不利益を受けるので、本件解雇は過大であり、権衡を失する旨主張する。

しかし、右主張は、これまでみてきたところから明らかなようにいずれも失当である。すなわち、被告が長期間にわたって辛抱強く説得に努めた経過に照らしても、被告がことさら他に対するみせしめのために本件解雇に及んだものとは考えられない。配転を拒否しながら解雇された例がないのは、配転の内示を受けた者に病気などの特別事情があることが判明したため、被告が内示を撤回したか、内示を受けた者が自ら退職したことによるものであって、原告が主張するような本人の同意を必要とする配転慣行が存在していたことによるものではない。そして、被告が内示を撤回したのは、原告の場合と異る事情によるものであって、原告だけを不公平に扱ったものではない。また、本件配転の業務上の必要性の程度、原告の配転拒否の理由、原告に対し、婚約者の就職斡旋、宿舎提供などの便宜供与がされていることなどにかんがみると、本件解雇が権衡を失するものとはいえない。

三  以上の次第で本件解雇は有効であり、原告の本訴請求は理由がない。

(反訴請求について)

反訴請求原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。そしてこの間に、原告が現実の就労をしたことについての主張・立証はないから、本案訴訟の確定をまつまでもなく、原告は被告に対し、受領した仮払金を返還すべき義務がある。

なお、原告は、右仮払金が、仮払を命じた判決の強制執行によって支払われたものではなく、任意に支払われたものであるとして返還義務を争うかのような主張をするが、たとえ、強制執行により支払われたものではないとしても、それが仮処分判決に基づいて仮定的に支払われたものであることに変わりはないから、この仮処分判決が取消され、仮払金を受領する根拠が失われた以上、すでに受領した仮払金の返還義務を免れないものというべきである。

そうすると原告に対し、仮払金六〇五万〇六六四円及び別紙仮払金明細書記載の各金員に対する同記載の各仮払日の翌日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める被告の反訴請求は理由がある。

(むすび)

よって、本訴請求を棄却し、反訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川敏男 裁判官 野村利夫 裁判官 松井千鶴子は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 中川敏男)

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